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佐世保の歴史
縄文時代の佐世保
2 石器の製作
安山岩や黒曜石を使って人々はどのようにして石器を作ったのであろうか。各地で実験考古学やアメリカ先住民などの民族事例が研究されている。
図3のような方法で石器作りが行われたようである。
@【直接打法】石器の原石や母核(コア)に川原石のハンマーや鹿角・硬い木を使って打撃を加え、石器のもとになる剥片(はくへん)という薄い石片を剥ぐ。
A【間接打法】石器の母核の端の部分に鹿の角などをあてがい、それにハンマーで打撃を与え、@と同様に薄い剥片を剥ぐ。
B【押圧剥離(おうあつはくり)】鹿の角や骨角器などの先端部を尖(とが)らし、先端部を使って石刃に強く圧力を加え、槍先や細石刃、矢じりなどを作る。
C【研磨(けんま)】縄文時代になって本格化する石器の技法で、石斧の先端部や矢じりの表面を磨く。旧石器時代末にも一時期局部磨製(きょくぶませい)石斧の刃部の加工に使われていた。
D【敲打(こうだ)】大型石斧などの石器を製作する、表面をこつこつ打つことで成形する技法がある。これも石器製作に利用されていた。
縄文時代初頭の西九州で流行した、細石器(さいせっき)の典型的な技法に西海技法(さいかいぎほう)というものがあり、細石器は上の図4のようにして製作する。この技法で作られた細石器は、豆粒文土器や隆線文土器などの土器出現期に伴って大量に出土した。また、吉井町福井洞穴にも同じ技法の細石核を見ることができる。市内の中屋敷(なかやしき)、板山(いたやま)、牟田堤(むたつつみ)、花高の皆瀬(かいぜ)、高島などの遺跡からも出土し、そればかりか西九州や他の地域にもこの技法の影響が見出される。
この技法の特色は、舟底(ふなぞこ)の形をした細石核である。両面加工(りょうめんかこう)の原核(げんかく)を母材とする細石核を作り、細石刃を剥がす下の部分がそろって舟の底のような形になることから舟底型細石核とも呼ばれている。この細石核は、泉福寺洞穴の押引文(おしびきもん)土器の層の時代(図2)まで使われており、新たな石器の出現で消滅するのである。
その新たな石器は、同洞穴の条痕文土器の層から出土した矢じりのことである。土器の年代測定の結果約1万2百5十年前と分かった。飛び道具の矢じりが狩りの道具として使われ始めたことは、当時の人々にとっては大きな技術の進歩だった。これはやがて狩猟の対象物の拡大となり、生活の豊かさにつながったと思われる。