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佐世保の歴史
縄文時代の佐世保
5 縄文人の埋葬と信仰
縄文人たちの精神生活はどうだったのだろう。
岩下洞穴では、縄文時代早期〜前期の埋葬(まいそう)人骨が27体が出土した。他の縄文遺跡では普遍的な社会的儀礼として抜歯(ばっし)がなされているが、岩下人では抜歯の風習は確認されていない。また、埋葬の方法では屈葬(くっそう)といって体を折りまげてた状態で埋葬(まいそう)されていた。しかも、死者の魂が抜け出さないようにであろう、大きな石を頭・胸・脚においた例も発見された。
埋葬された人骨の中に、幼児の人骨が3体が見つかっているが、縄文時代の苛酷な自然条件の中で、実際には大人の数倍は成長できなかった子どもがいたと思われる。
下本山岩陰に、住まいと同居して埋葬された縄文時代前期の男女2体の人骨を見ると、身長は岩下人と同じく男性約158cm、女性は約147cm、屈葬で埋葬されていた。歯は同じく鉗子状咬合(かんしじょうこうごう)といい、下の図のようにひらべったい噛み合わせ状態だったようである。岩下人で特に見られたのは、皮をなめす際に歯を使ったらしく、奥歯の外側がかなりすり減っていることがわかっている。岩下人の19号人骨の中に、一体だけ5本の石槍が胸の部分から出土していた。副葬品か武器類か、遺体の内部に収めたものか稀(まれ)な例である。
高島宮の本遺跡から、縄文時代晩期の熟年男性人骨が出土している。土の中に直接埋める土壙墓(どこうぼ)で埋葬されており、しかも、頭部を小石で覆う礫群(れきぐん)があった。
また、下本山岩陰の人骨は、岩陰の中央より東に寄った落石側面を利用して屈葬で埋葬されており、岩下洞穴の人骨と類似した傾向がうかがえる。岩下洞穴では北半分は埋葬地、南の域に炉(ろ)の跡があり生活した痕跡が明らかになっていた。同じ洞穴内で死者を葬る行為は現代の私たちには理解できない。縄文人たちの死者への思いが異なっていたと思われる。
もう一つの特徴として、天神洞穴では土偶(どぐう)の足の部分が出土している。土偶は死者の埋葬の場合や願いごと、生産の豊饒(ほうぎょう)を意味し、長崎県では貴重な遺物である。滑石(かっせき)が混入されており、縄文時代中期のものであろう。
大自然を敬い、山や海や川などに神々が宿り、それを信仰の対象としていたようである。さらに貝製ペンダントや骨製ヘアーピン、貝製の耳飾りなどが下本山岩陰から出土している。先史人たちの装いの中に、現代に生きる私たちの精神生活との共通点を見出すことができる。