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江戸時代、平戸八景の福石観音と眼鏡岩は、ともに佐世保の名所であり、人々の信仰の場であった。
 福石観音は名僧行基が刻んだとされる木像の十一面観音像が、ご本尊といわれている。奈良時代の行基が本市に来たという記録は残っていないが、各地にお寺や橋、池、道路などの社会事業や土木工事などを行ったといわれ、行基菩薩と呼ばれている。また、時代は平安時代になるが、大同年間(806〜810)に空海が来て清岩寺を建立したと伝えられている。ご本尊は空海こと弘法太師の木像だという。すぐ裏には羅漢窟があるが、空海によって五百羅漢(ごひゃくらかん)が安置されたとも伝えられている。残念ながら終戦時に家を無くした人たちが住んだりしたため、かなりの荒れ方である。大師が訪れたという記録はないが、長い間信仰の対象として祭られてきている。
 堺木にある眼鏡岩は、長さおよそ20m、高さ約10m、二つの穴の直径は大きい方が、約8m、小さい方が約5m、まさに眼鏡そっくりの岩である。海抜は約100m、佐世保川と相浦川の分水界にある。第三紀層の砂岩が浸食を受けてこのような景観を作ったのであろう。 この地方には、『石盛山を枕にして寝ていた大きな鬼が目を覚まし、足を伸ばしたとたん、足もとにあった大岩にポッカリ穴があいた』という民話が残っている。
 延暦23年(804)、弘法大師が遣唐使にしたがって唐に渡ったとき、この付近を回り、たまたまこの秘境を見て、『この地は仏縁の地なり』として千手観音(せんじゅかんのん)像と梵(ぼん)字を彫りこみ誓願をこめたという伝説も残っている。
 その他にもいろいろな伝説が残っているが、この奇岩の景勝地が人々の信仰心を呼び、地域の人たちに大切に守られてきたのであろう。
 福石観音と眼鏡岩は、庶民信仰の対象として、受け継がれ、今でもこれらの地を訪れ、お参りをする人はあとを絶たない。自然と歴史のおりなす景観である。


写真福石観音(左)と、眼鏡岩(右)