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佐世保の歴史

江戸時代の佐世保

7  村方の人々のくらし

 平戸藩が寛政7年(1795)に出した郡方仕置帳という法令がある。その最初に「すべて農民は田畑を受け持ち五穀(ごこく)を作り、天下の人民を養っているのだから、これを国の本ともいい。その職分は至って重い」と書いている。江戸時代は農業が経済の中心だった。
 平戸藩も藩や武士の生活費は農民が納める年貢に頼っていたので、百姓の身分は武士に次ぐものとし、農業を保護した。武士や役人が勝手に百姓を使うのを禁じた。すでに寛文2年(1662)の在々定(ざいざいさだむ)という法令に「地方(じかた)にて知行(ちぎょう)をいただいた者は、百姓を定の外は使ってはいけない。どうしても使わねばならぬ時は、相対(あいたい)で召し使い、一日に米1升5合ずつ支払うこと」と定めている。
 また百姓身分の者が減少しないよう厳(きび)しくした。
一、百姓その外、村にいる諸作人の娘、他領に縁づき、並びに養子につかわしたり、質にも入れてはならない。
一、百姓の子は男女を問わず、百姓以外の者に嫁、養子にも遣わしてはならない。
 一方では農民どもが逼迫(ひっぱく)するのは、結局耕作の心がけ薄く、徒(いたずら)に日を送り、米銭(べいせん)を酒食に費(ついや)すからだ」とも述べている。だから「法度(はっと)(きまり)をきびしくして、役人から申し諭(さと)し、又五人組で責任を持ちあって、農業がおろそかにならないようにせよ」、農民に対しては「おこってわがままなこともなく、苦しみもしないように、その中分に治めるべきだ」とのべている。
 次に倹約とともに自給自足の生活を強調している。米麦のほか、大豆(だいず)・小豆(あずき)・ごまやからしは年貢として納める作物だから注意して育てよ、それらを食べてしまうことのないように雑穀(ざっこく)、野菜や芋(いも)を植え、屋敷の周りには実のなる木を植えたがよい。お茶や酒は買わず、布も自分で織り米銭を使わないようにと述べている。衣服など普段の生活にも、いろいろな制限が設けられていた。農民の着物は自分達で作った麻や木綿に限られていた。雨が降っても傘や下駄はつかえず、蓑(みの)や草履(ぞうり)かわらじ履(ば)きに限られていた。
 冠婚葬祭(かんこんそうさい)についても、食事の内容からお布施(ふせ)についてまで述べている。例えば嫁取りの時は盃に酒三献、取肴で祝い、この外の料理、吸物は無用としている。年貢納入前は「すべて諸勧進(かんじん)・芸者・諸商人・塩売りたりとも、一切郷中に入れてはならない」など年貢の納 入の妨げになることを禁じている。農民の年貢納入については、大変詳細に決められ、忠実に実行されている。
 農民の負担の中心になるのは、田畑にかかる年貢で物成(ものなり)と呼ばれた。物成はすべて米の量で表示された。田方の物成は石高の4割(四ツ成リ)と決められていたが、収穫高に対してはおよそその3分の2に当たるように決められていた。
 例えば上々田の収穫高は籾(もみ)で、1反当り3石6斗、籾すりの後は半分の1石8斗になった。百姓の取り分は、その3分の1で6斗、上納分は3分の2で1石2斗、上納分の1石2斗が石高の4割になるように石高をきめるとされている。そうすると上々田の石高は3石ということになる。
 畑方の年貢も石高の4割だが、石高を低くして年貢は収穫高の半分になるよう軽くしてあった。またすべて年貢は米で計算されていたが、米以外に普通は大麦で納められ、小麦・大豆・小豆・ごま・からしも年貢として納入できる作物であった。
 百姓はその外、桑・茶や藁(わら)などにかかる運上銀を納め、橋・井手や堤の修理など年に3日は働きに出た。これを点役(てんやく)といい、往還の修理も年に2回する事になっていた。百姓以外で農業をしている人々は、百姓より負担が軽いので地役銭を払った。それは1反あたり6分7厘だった。村方には大工・鍛冶・屋根葺(ぶ)き・桶屋・酒屋・染屋・糀(こうじ)屋・木挽(こびき)きなどの職人もいて、運上金(うんじょうきん)を負担した。
 年貢納入やキリシタン取り締まりなどで連帯責任(れんたいせきにん)をとらせるため、五人組制度(ごにんぐみせいど)が作られていた。一方では「もやい」や「ゆい(結)」という助け合い制度があって、婚礼や葬式を始め農繁期にはお互いに助け合った。
 このように農民の生活はきびしいものだったが、正月、節句、お盆などの年中行事が生活に彩りをそえ、骨休みと栄養補給になるという、すばらしい仕組みを作り上げていた。
 おくんち・浮立(ふりゅう)・虫追いの行事も、村中総出の楽しい行事だった。西有田の竜泉寺(りゅうぜんじ)から折尾瀬村の横手に伝わった浮立は佐世保付近の村々にひろまった。笛、鉦(かね)、太鼓と、もらしの道中囃子(ばやし)で行列して村中をまわり、お宮に入場し伏せ鉦にして三番叟(さんばそう)・岡崎や玄蕃(げんば)などの曲が、太鼓を打ちならしながら舞われた。木場(こば)浮立は昔の姿を受けつぎ、県指定の文化財になっている。

図8 郡方仕置帳
(佐世保市立図書館蔵)

図9 江戸時代の農具
(長崎県・佐賀県における農具図録より)

図10 江戸時代の農作業
(西川祐信筆)

写真10 木場浮立

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