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佐世保の歴史

江戸時代の佐世保

10 宗門改めと信仰

 「伴天連(ばてれん)、いるまんの儀は申すに及ばす、切支丹(きりしたん)宗門、 組中男女の内、一人も御座なく候、若(も)し見聞仕(つかまつ)り候わば、早速申上べく候。組外より申し出候わば、組中同罪に仰せ付けられるべき事。」
 これは平戸藩内五人組帳の第一条である。キリシタンが多かった肥前の地にあって、平戸藩もまず五人組に禁令を守らせる連帯責任を課した。
 寛政7年(1795)の郡方仕置帳でも
 「御領分中宗門改の儀、春夏両度宗門奉行指し廻され、踏絵(ふみえ)見届け、紛(まぎ)らわしき儀これなき通り相改め候様仰せ付けられ候、よって其懸(かかり)の村々において、宗門奉行巡回の時節・・・踏絵の者を一々人別帳に引合せ、人の増減、出入等明細に相糺(ただし)、郡代中承り届け申す事」とある。宗門改めの踏絵(絵踏)は春の大切な年中行事となっていた。俳句の季題にも、絵踏は春の部に入れられている。
 足袋はかぬ 天草をとめ 踏絵かな  青木月斗
 平戸藩は、長崎奉行所から「かねの踏絵」真鍮(しんちゅう)踏絵)4枚を借りた。享保20年は、長崎の絵踏が終った直後の正月9日に借用して、4月に返却している。しかし、後には4月に借用して、9月に返却したようである。
 平戸藩の『宗門改手鏡(しゅうもんあらためてかがみ)』には、絵踏にあたっては、頭にかぶり物をしてはならない。腰をかがめて御辞儀をしないように。足袋(たび)をはかず素足(すあし)で踏ませること。などの心得を示している。
 絵踏の台帳にもなる宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)は前もって作り上げられる。村方では普通庄屋屋敷の庭で踏まされ、それを外踏(そとふみ)といった。人別帳が読み上げられたら、その者は進み出て像の上を歩き踏む。それのできない子供は母親が抱き上げて像の上に足をつけて歩かせるようにする。
 こうして式が終ると、戸主は人別帳の上に捺印(なついん)して検査が行なわれた証拠とする。士分の者や脇間(わきま)などの中には、各人の屋敷や主人の屋敷内で踏む、これを内踏(うちふみ)といい、徒士以上の給人は踏絵御免であった。平戸藩の幕末は踏絵の踏み方も身分の指標となっていた。
 江戸時代寛文以後は、生まれるとすぐに宗門改帳に登録され、仏教徒のひとりとしてその家の檀那(だんな)寺の証印をうけ、村役人を通して領主に報告しなければならなかった。こうしたことから宗門改帳が戸籍の役割を果たすのである。この寺請檀家(てらうけだんか)制度は平戸藩でも例外ではなかった。
 檀家は所属する寺で葬儀と年忌の行事を行なうように なった。郡方仕置帳では「弔(とむらい)は、3日・35日・100ケ日。此外年忌ごとにとむらうべき候、その節は旦那寺の僧を呼び、身近き親類ばかり寄合、一汁一菜の斎(とき)を出し」とのべている。
 江戸の中期になると四国八十八ヶ所霊場めぐりも広まるが、遠隔地のため小域霊場が造られ、遍路(へんろ)が行なわれるようになった。西国三十三ヶ所巡りも行なわれた。
 おめぐりは、現在西光寺、東漸寺(とうぜんじ)を中心とする相浦谷、黒髪山大智院を中心とする佐世保地区、青蓮寺(せいれんじ)を中心とする日宇・庵(いお)ノ浦地区、浄漸寺(じょうぜんじ)を中心とする早岐・針尾地区の4つの団体で、春秋の彼岸を中心に行なわれている。何時から始められたかは明らかでない。
 村人はその他にも信仰にかかわるさまざまな行事を持っていた。前掲の仕置帳で「大勢寄合・酒盛」などしてはいけない例として、「氏神の祭、川祭、講祭、伊勢参宮の送り迎え」をあげている。
 眼鏡岩や福石観音は古くから平戸八景にも数えられた景勝の地であって、同時に信仰の場で、祭礼の時には近隣の村々から老若男女が集まるにぎわいを見せた。眼鏡岩は3月21日弘法様の御縁日、福石観音は8月9日から3日間の千日祭がおこなわれた。
 伊勢参りは江戸時代の参宮記録は残っていないが、伊勢の御師(おし) で、平戸藩の担当であった橋村肥前太夫の記録が、村々の村入用費帳簿に残っている。
「米(京舛)三升、銀弐匁八分三厘 但神酒壱升代   是ハ橋村肥前太夫殿相越候時・・・・」
 伊勢から毎年大麻(たいま)や暦などを持って、平戸領内の各村を巡回する肥前太夫と下人2人に、賄米(まかない)として一人一升ずつと神酒一升を出すきまりであった。一方、村人が伊勢参りする時は、伊勢の橋村肥前太夫の家が宿泊所になり、またガイド役を引き受けた。
 当時御伊勢参りは、一生最大の旅であった。農繁期の正月明けから4月までの間が旅の季節であった。村人は「伊勢講」などで費用を用意し、何人かの代参者を選んで送り出した。橋村肥前太夫文書によれば、戦国末の永禄より寛文9年までの史料に、佐世保村5人、相神浦3人、日宇村15人、早岐村28人の参宮者が記録されている。

図15 切支丹宗門御改連判状(佐世保市立図書館所蔵 )

図16 絵踏(長崎文献社:長崎事典より)
写真14  このような観音像をマリア観音として祀った
(生月町博物館島の館蔵) 

写真15 市内のお遍路さん(現代)

図17 お伊勢参りの様子
錦絵より(川合皋 氏 提供)

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