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佐世保の歴史
明治時代の佐世保
1 明治維新の息吹(いぶき)
江戸幕府を倒して新しく発足した明治新政府は、版籍奉還(はんせきほうかん)、廃藩置県(はいはんちけん)、学制公布、徴兵令公布(ちょうへいれいこうふ)、地租改正(ちそかいせい)、秩禄処分(ちつろくしょぶん)とつぎつぎに改革方針を打ち出してきた。
この改革の目的は、新政府の支配の強化とともに、わが国の独立を守り、欧米先進諸国に追いつく国づくりを進めることにあった。そのために多額の費用を確保することが必要になり、それを人々に求めたのである。
四民平等(しみんびょうどう)、苗字(みょうじ)の許可、穢多(えた)・非人(ひにん)の呼び名の廃止、斬髪(ざんぱつ)、廃刀令(はいとうれい)等生活に関する改革もあったが、人々が願った「世直し」「年貢軽減」「差別の解消」にはつながらなかった。中でも「地租改正」は、税負担者の農民にと
っては、かえって負担がふえることとなった。
佐世保やまわりの村々においても、政治・経済上の改革はどんどん進められたが、一般の人々が直接参画した下からの改革ではなく、中央政府等が発する上からの命令に従うだけのものであった。
廃藩置県までの佐世保や周りの村々には、平戸藩の政治のしくみが、江戸時代のままに残されていた。しかし、その後の改革の動きは大変な速さで進められ、毎年のように新しいしくみに変えられていった(表1)。
この地域でも、江戸時代の終わり頃には、教育の大切さが人々にも理解され、お寺や神社等で「読み・書き・算術(さんじゅつ)」の実用的な教育が行われるようになっていた。
明治時代に入っても、このような状況は受け継がれ、私塾(しじゅく)が各村に生まれてきた(表2)。