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佐世保の歴史
明治時代の佐世保
3 学制改革と佐世保の教育
明治5年(1872)、政府は「学制」を定め全国の村々に小学校の設置を求めた。
長崎県は、この政府の方針を受け、県内全村に「明治7年1月を期し、公立小学校を設けること」という布令を出して、学校制度の実施を急がせた。
佐世保村やまわりの村々では、大急ぎで小学校の設置に取りかかった(表3)。これらの小学校は、学校とは名ばかりで、年令も6、7歳から25、6歳までと幅ひろく、校舎も以前の寺子屋の状況と大差はなかった。就学率も低く、特に女子の就学率が極めて低かった。
東彼杵郡では、郡長が各村の戸長、学務委員に就学を奨励するように通達を出している。しかし、この頃の村々では、子供も農作業、子守、家事などの重要な労働力であったし、授業料も払わねばならなかったので、十分な成果を上げることができなかった。
一方では、子供を学校に通わせたいと願う親も多く、小学校から遠い所では分校がつぎつぎに設立されていった(俵浦、庵浦(いおのうら)、船越、高島、中里、里美(さとよし))これら分校は地域の住民の強い後押しを受け、現在では独立した小学校になっている。