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佐世保の歴史
戦争への道
昭和初期〜戦争終結
5 戦時下のくらし
空襲に備(そな)えて防空、防火、避難訓練が何度も行われた。 電力も工場優先で、家庭では電灯を暗くさせられた。
各町に隣組(となりぐみ)や国防婦人会があり、老人、女性が中心となって昼は防空訓練、配給、婦人会、夜は常会(じょうかい)があり、寝る時も空襲に備えて防空着のままでの仮眠であった。これらの組織は、隣人同士の協調を増すと共に、相互監視の役割も果し、行政の末端の役割を担(にな)った。
各家庭の床下や崖下(がけした)に防空壕が掘られ、天井板(てんじょういた)外しが命じられ、道ばたに防火用水が置かれた。住所、氏名、年令、血液型を記した布を上衣や防空頭巾(ずきん)にぬいつけた。
戦況(せんきょう)が日本に不利になると、政府は国民に本当の情報を伝えなくなった。政府の「大本営(だいほんえい)発表」は、いつも「勝った」「大戦果」と報じた。ラジオも新聞も雑誌も映画も、戦時体制のもとその統制下におかれていた。
佐世保は軍港であるだけに、戦争の状況についてはどこからともなく「真相」が洩(も)れ伝わる面もあった。
当時の国民の生活の様子と正直な感情を書いた日記の一部をここに紹介する 清沢烈「暗黒日記1942〜1945」山本義彦編=岩波文庫
「世の中は星(陸軍)に碇(いかり) (海軍)に闇(やみ)(高価な非合法物資)、馬鹿者のみが〔物資配給の〕行列に立つ!という歌が流行している。闇は普通の現象だ。闇をやらないでは一日もおれない。そこで一般にこれを『国民相場』といい『闇の公定』という。需要供給の関係で・・・」
当時の東京の闇の価格
米 (一升) 公定価格50銭 闇値3円30銭
鶏卵(一個) 10銭 30銭
砂糖(一貫) 2円20銭 50円
靴下(一足) 50銭 2円50銭
石鹸(一個) 10銭 2円
木炭(一俵)15s 2円20銭 10円
配給は公定価格だったが不足し遅れた。人々はやむを得ず闇の品物を買った。都市ほどこの傾向はひどかった。収穫量の多いカボチャやいも類が空地やグラウンドに植えられ、木や草の花、葉、茎、根、実を争って食べた。
昭和19年1月建物強制疎開(そかい)開始(東京)、2月生活物資大増税、8月竹槍訓練開始、10月神風特攻隊、翌25年5月官庁の給料は年4回払いとする・・・世の中は先の見えない暗闇(くらやみ)の中を走るような様相になってきた。