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佐世保の歴史

新しい佐世保の建設
−戦後

6 女性運動の高まり

 敗戦による異常事態を建て直し、新しい婦人会の創立を願う女性たちが、敗戦直後の九月末に集まった。新時代は民主化に向かって動き出し、婦人解放、婦人参政権等に対応する手段が必要であった。それにはまず、女性自身が自覚し、協力して、新生の婦人会をつくり、当面する敗戦の虚脱(きょだつ)症状から脱却(だっきゃく)する必要があった。その後、10数回もの会合を重ね、翌21年(1946)1月18日、佐世保市連合婦人会が結成された。会は初めて経験する民主的方法で会則を作り、会長、副会長、役員を選挙し、全市に会員募集を呼びかけ、支部を結成した。24地区、会員総数30,000有余名。よく学び、考え、書き、発表し、行動することをモットーに、会の活動は学びの専門委員会(生活改善、保健衛生、政治学習、子供を守る、産業)の5分野で進められ、実践活動は多岐(たき)にわたった。佐世保では、戦前の女教員活動が職域での女性運動の始まりであり、新生の連合婦人会は、戦後の地域家庭婦人を対象とした大集団で、女性の地位向上をめざす先駆(さきが)けとなった。昭和21年(1946)4月10日は、女性が初めて政治に参加する衆議院議員総選挙の日であった。棄権防止を呼びかける、さまざまな啓蒙運動が行われ、長崎県は全県で1区、定数8名に対し立候補総数は57名、内女性は7名で佐世保の女性立候補はなかった。しかし立候補者の演説会には多くの女性が参加、投票日には「処女票を行使する感激」と好奇心で、「隣保班ごとに連れ立って押しかけ、男性に勝る政治意欲を示した」(『長崎新聞』)翌22年(1947)4月は知事、参議院議員、衆議院議員、県議会議員、市議会議員それぞれの選挙が連続的に行われ、その内市議会議員選挙には女性4名が立候補、市の復興や戦争未亡人救済、進駐軍問題、社会の民主化などを主唱し、2名が当選した。昭和30年には連合婦人会の活発な活動もあり、政治参加の高まりの中で市議選に女性7名が立候補したが、当選者は1名であった。以後、投票率は男性と比較して上昇しているが、当選者数は微増である。表4は、女性議員が激増した他市町と本市との延び率を比較したものである。

写真14 右 市連合婦人会初代会長  和田 芳子

資料2 長崎新聞記事 選挙標語『市婦連創立50周年記念誌』

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