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佐世保の歴史

新しい佐世保の建設
−戦後

8 海上警備隊の誘致

 昭和25年(1950)7月8日、マッカーサー連合国軍総司令官は国家警察予備隊(7万5千名)の創設(そうせつ) と海上保安庁職員の増員を指令した。朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)してからわずか二週間後のことであった。
 理由は日本を占領支配していた連合国軍、特に米軍が朝鮮戦争の第一線に送り込まれ、日本国内の安全を保つのが難しくなったので、警察力を強化するということであった。日本に所在する米軍基地に対する在日朝鮮人や、国民の反感も根強く、基地および将兵の住宅、家族の安全確保も大きな目的であった。
 これは、実質的には日本の軍事力再建の指令であったといえる。8月10日警察予備隊創設、13日隊員募集開始、9月中旬までに40万人弱が応募し、予定通り約7万5千名を採用した。9月4日針尾駐屯(ちゅうとん)部隊が開隊し、第一陣の隊員1,116名が到着した。警察予備隊は「戦力なき軍隊」と呼ばれながらも着々と内容を充実させていった。
 昭和27年10月保安隊と改称、同29年7月防衛庁発足と共に自衛隊と改称し、今日に至っている。佐世保に関係の深い海上自衛隊は、昭和27年4月創設の海上警備隊がその始まりであるといえる。
 朝鮮戦争は国連軍や中国義勇軍の参戦もあって一進一退をくり返していたが、昭和26年7月から休戦会談が始まり、同28年7月に休戦協定が成立した。
 朝鮮戦争中から、海上保安庁は米軍に協力して機雷除去のための掃海作業を行っていた。昭和27年4月海上保安庁に海上警備隊(けいびたい)が創設され、その地方総監部(そうかんぶ)をどこに置くかが問題となった。名乗りをあげたのは、奇(く)しくも明治19年の海軍鎮守府設置の時と同じく佐世保と伊万里であった。
 双方とも自分の方へ持って来ようと政界、経済界挙げての陳情運動を繰り広げた。結局佐世保側が旧軍港としての有利さを生かし、旧防備隊跡(ぼうびたいあと)の提供を決定し、昭和28年9月佐世保地方総監部が創設された。
 同年11月14日来賓300名を迎えて盛大な開庁式が挙行された。前日にはフリゲート艦9隻が入港し、市民は模型艦の進水、歓迎アーチ、仮装行列等で前夜祭を催(もよお)して歓迎した。開庁式の後、祝賀会に引き続いて市民10,000人余が大提灯(ちょうちん)行列を行って開庁を祝った。

写真25 右 警察予備隊入隊

写真27 海上警備隊開庁祝賀パレード

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