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佐世保の歴史
新しい佐世保の建設
−戦後
9 市域の広がり
佐世保市は明治35年(1902)佐世保村から一足(いっそく)とびに市となった。その後も市勢の発展は止まらず、軍施設と市街地の拡充がつづいた。 昭和2年(1927)日宇、佐世両村と合併、昭和13年(1938)には相浦町、昭和17年には早岐、大野、皆瀬、中里の4町村を合併し市域は大きく広がった。佐世保空襲、終戦、食糧難、住宅難で一時は半減した人口も、佐世保市の戦後復興が進むにつれ徐々にふえ始めた。朝鮮戦争は佐世保復興を大きく後押しした。造船、石炭、工場が活気づき、佐世保は長崎県北部の中心として活発な活動を始めた。昭和28年(1953)町村合併促進法が施行された。市町村の行政能力と財政力を合併によって強化しようというもので、県下でも合併する市町村が多かった。佐世保市と柚木、黒島両村との合併はそうした動きの中で、29年4月に実現した。続いて30年4月折尾瀬、江上、崎針尾との合併がなされた。33年8月1日宮村との合併で一応の区切りとなった。合併はスムーズに進んだわけではない。折尾瀬村では合併反対同盟が結成され、村民大会まで開かれたりした。
江上、崎針尾の両村は宮村と組んで3村合併の動きがあったが、最終的に佐世保市との合併に決した。宮村は、隣の川棚町との結びつきも強かったが、大正、昭和となるにつれ佐世保とのつながりが密接になってきた。村内には川棚との合併を主張する意見も強く、村内の意見は大きく割れたが、最終的には佐世保市との合併でまとまった。
合併前の各村の人口、面積は次の通りである(単位 人・平方km)
○柚 木 村 7,328人 23.6平方km
○黒 島 村 2,158人 4.9平方km
○折尾瀬村 6,843人 26.3平方km
○江 上 村 4,849人 18.8平方km
○崎針尾村 3,886人 15.4平方km
○宮 村 5,700人 15.7平方km
6ヶ村の合併の結果、佐世保市の人口は約26万5千人、面積は249平方kmとなった。
佐世保市が昭和2年以後合併した町村は3町10ヶ村で、面積は14倍になっている。