hyousi_mark_mark_s.jpg (6168 バイト)

佐世保の歴史

佐世保の成長と市民生活の向上

3 経済の高度成長とくらしの変化

 昭和30年代以後国民生活は空前の消費ブームで大きく変わった。電化元年とよばれた昭和28年、電気洗濯機(28,000円)、電気冷蔵庫(8〜100,000円)の発売が始まり、掃除機を加えて「三種の神器(じんぎ)」と呼んだ。中堅サラリーマンの月給が8,000円位だった。
 昭和32年以後、NHK、民放のテレビ局がつぎつぎと開局した。佐世保では、33年にNHK、翌年にNBCのテレビ局が開局し、佐世保でもテレビ時代が始まった。14インチの白黒テレビが17万円、大学卒業者の初任給が1万円の時代であった。
 昭和34年の皇太子、美智子妃の御成婚パレード、力道山のプロレス、王・長嶋のプロ野球、大相撲が人気の的で、テレビのある店は大繁昌(だいはんじょう)した。昭和40年頃からカー・クーラー・カラーテレビが登場「3C時代」と呼ばれた。特にカラーテレビへの憧(あこが) れは強く、東京オリンピックやプロ野球が後押しした。20万円以上していたカラーテレビが、庶民(しょみん)の手が届く価格になってきたのは昭和50年代であった。
 マイカー時代の到来はやや遅れてやってきた。ホンダのスーパーカブ、360CCの初代スバル、トヨタのコロナはマイカー時代の先駆けをなした。市中心部の大売出しの景品に軽乗用車が登場したのもこの頃であった。このような消費ブームをまき起こした要因は何だったのだろうか、「日本経済の高度成長」とよばれた30年間と大消費時代はピッタリ重なっている。政府のとった重化学工業化(重厚長大(じゅうこうちょうだい))政策が20年間、石油ショックを知識技術集約化(軽薄短小(けいはくたんしょう))政策に転換して乗り切っての10年間、日本経済は右肩上がりの成長を続け、人々の収入は順調にふえていった。月賦(げっぷ)販売が急速に普及し、テレビや雑誌のCMは人々の夢と欲望をかき立てた。生活水準も向上し、多くの人々が中流意識を持つようになった。しかし一方では、高度成長のひずみも表面化してきた。交通戦争、健康を蝕(むしば)む公害、大都市の過密 と地方の過疎 、エネルギー、食糧自給、農林業の衰え、偏差値(へんさち)教育等である。佐世保では炭鉱閉山、原子力艦の寄港、SSKの経営難と人員削減、洪水、渇水(かっすい)など、市民にとって気が重くなる問題も多かった。一方では、中心街のアーケード化、観光地や道路の整備、相次ぐ住宅団地の開発、市街地や歩道の整備、企業誘致など明るい話題もあった。

写真6 1960年代の自動車の渋滞始まり

表4 佐世保市におけるテレビの普及状況

678910