![]()
佐世保の歴史
佐世保の成長と市民生活の向上
9 女性の地位向上
戦後、日本国憲法が制定され、性による差別は廃止されたが、慣習の中にはもちろん、法律の中にも性による差別は数多く残された。
国際連合は、昭和42年(1967)『婦人に対する差別撤廃宣言』を採択、2年後の6月、国際婦人年世界会議を開き「世界行動計画」を発表、以後10年間を『国際婦人の10年』と定めた。昭和54年(1979)、国連総会では、女性差別撤廃条約を採択、10年目の昭和60年(1985)ナイロビにおける世界大会で、各国が取り組むガイドライン372項目を示した。
国内では、国際婦人年世界会議後、婦人問題推進会議を開催し『婦人の10年国内行動計画』を策定、昭和55年(1980)、女性差別撤廃条約に署名したが、父親中心で決めた戸籍や国籍を改め、男女同一教育課程実現のため家庭科を共修し、雇用の男女平等を保証する法制度の改正が必要だったため、批准(ひじゅん)は『国際婦人の10年』最後の年となった。2年後、西暦2000年に向け「新国内行動計画」を策定した。
平成7年(1995)、北京会議におけるエンパワーメントのうねりの中、政府は翌年『男女共同参画2000年プラン』を決定、4年後『男女共同参画社会基本法』を成立させた。昭和53三年(1978)、市でも市教育委員会社会教育課が、婦人学級講座「日本女性史コース」を開き、その後、女性史や女性学を学び女性の生き方を考える佐世保女性史の会、女性学研究会、創造する女の会、あごらの会等が誕生し、活発な活動を始めた。さらに、昭和60年(1985)、婦人問題懇話会を発足させ、4年後婦人対策室を設け、女性企画課へと組織を強化した。
『男女共同参画2000年プラン』に刺激され、MAMA,S VOICE、女たちのネットワーク「西海ねこじゃらし」、ジェンダーフリー研究サークル等が活動を始め、女性企画課も男女共同参画課に改称、活動の拠点「スピカ」も完成、平成13年(2001)『男女共同参画都市させぼ宣言』もした。
国際婦人年後25年、差別撤廃から男女共同参画社会の実現へと女性問題は急激に進歩したが、ジェンダーフリーにはまだ遠い。